Life, and the healing. 2008年12月04日

最近は忙しさにかまけて考えることをしてないから、
文章がまとまらないなぁ。だめだめだー。
森博嗣の文章から引用。ちょっと長いですが。

「メールでときどき悩み相談のような内容をいただく(1日に10通くらいかな)。
もちろん、広範囲で、ちょっとした日常のことから、事件性、犯罪性のあるものまで。
僕は特に誠実に答えてはいないし、
もちろん、森博嗣にそんなことを期待してはいないと思うけれど、
しかし、誰かに話したくなる、という気持ちは共通しているし、理解できるところだ。
返答を聞くことよりも、話すこと、話す決意をしたこと、
書くために整理をしたこと、に意味があるだろう。
アウトプットをすることで自分自身が救われる、という現象は、
教会の懺悔もそうだし、精神医療でもそうだし、心理学の事例にも頻出するものだ。
 辛いことを抱えている時間は、本当に辛くて、誰にも話せない。
しかしあるとき、それが人に話せるようになる。
話せる、ということが、既に問題が大部分解決している証拠かもしれないし、
少なくとも、解決したいという決断の表れでもあるのだ。
なんとなく、話すことで辛さがシェアされるように感じる。
聞く方にしても、少しはその辛さを分担してあげたい、と思うもの。
しかし、実のところ、個人の悩みは、他人に分担できるものではない。
その錯覚さえ、自分の中の処理である。

それから、僕が書いたことを読んで、それで救われた、
決断できた、楽になった、というようなメールをいただくことも多いのだけれど、
繰り返すが、それも僕の力ではない。本人の機能であり、能力によるものだ。
 
河原に落ちていた石を拾って、それを投げた。
石は水面を跳ね跳んで、結果的に価値ある光景を見ることができた。
楽しかった。それはその石のおかげだ。その石がなければ、できなかったことだ。
たしかに、石の形に向き不向きはあるだろう。
しかし、石を拾ったのも、選んだのも、それを投げたのも、
そして面白いと感じたのも、本人である。
その石でなくても、いくらでも投げるものはあったはず。
石のおかげではなく、投げてみようと思った、
面白いと感じることができた、自分のおかげである。
きっかけとは、河原の石くらい、どこにでもある。
ただ、一度使ったら、もう同じ石は見つからない。」


この文章でいう河原の石くらいチャンスはどこにでもある。
意志を持った人だけが、
そのときそれを得るのに十分な心構えを持った人のみがチャンスをつかむ。
同じチャンスには二度と出会うことはないけれど、
人は求めるとこに必ずたどり着く。
結局は何もかもが自分の中にあって、
自分の意志を持てない人は何も得ることがないのだろう。

周りがつまらないと感じる人は、自分がつまらない人間になっているからかもしれない。
嫌な人が多すぎると感じる人は、自分が嫌な人間であるからかもしれない。

こんな風になりたくてなったんじゃない、と言ってみても、
今の状態がどのようなものであれ、それは自分が求めてなった結果でしかない。

病気や怪我でもそうなのだが、
薬や治療によって直るのではなく、
薬や治療によって直る働きを助けてあげているだけだ。
医者も薬も、髪の毛ひとすじだって人間を直すことなどできはしない。
ただ生きているものが本来持つ力を、適切な方向に向けることができるだけだ。

個人の悩みや苦しみは、決して他の誰にも分かることはないし、
ましてや他人と分かち合うことなどできはしない。
それでもそうしようとするのは、結果的にアウトプットすることが
解決の近道になるからなのだろう。
実を言えば苦しみや悩みが起こるのも、人間という生き物の存在そのものが
生きようとする性質をそなえているからだ。
それが悪い方向に働くとき、人は苦しみを感じ、
良い方向に働くときあふれる喜びと充実感を感じる。
生きている存在がもつ自己修復能力、言いかえるなら生きようとする力は、
かくも強い力を持っている。
まわりにいる人が何か出来るとすれば、それはなるべく良いきっかけを、
できるだけたくさん与えてあげることだけだ。
それでもやらない人はいつまでもやらないだろう。

人を勇気付けることができる人というのは、
何かに邪魔されて動けなくなっている望みの気持ちを、
うまく引き出して触発することができる人なのだろう。



N
結局は自分の行動の結果は自分に返ってくるんですよね。
「こうしたい」とか妄想ばかりしないで行動できる人間になりたいものです。

あと、人に話すと気持ちが楽になるとか気持ちの整理がつくってことはありますよね。愚痴でも悩みでも何でも。
こーゆー時こそトモダチが多い人の方が有利なのかな??いろんな人に話を聞いてもらっていろんな人の意見を聴けて。
学生時代の方が毎日多くの人との会話があったからストレスとか悩みとか愚痴とか今と比べると全然溜らなかったかも…。
気軽に突然「会おう」と言って会えるような友達が一人でもいいから欲しいですねぇ


k
そうなんですよね〜、今僕がいそがしいのも自分のせい(チーン…)
後悔先に立たずで、なんでもっと早くやっておかなかったんだろうと
いつもいつも思います。(笑)

僕自身は悩みや苦しみを人に話すということを全然しないし、
自分の中で処理してしまうのでそれで気持ちの整理をつけるということもないです。
女性の場合、悩みに限らず何かを話すことがライフスタイルとして
大事という人が多いですね。
友達が少ない自分がいうのも何ですが、友達が多い人って
一緒に遊びにいったりするだけのような気がします。
何年ぶりかに会っても、表面だけじゃなく付き合えるのは
気心しれた数少ない人たちだけかもしれません。
そんな意味では、本当に深く付き合える友達が1人以上いれば、
それで必要十分かなーと僕自身は思います。
楽しくやるのが好きな人はそういうので全然構わないと思いますが。

20歳をこえると地元にいた友達や自分がどこか他の所に行ってしまうことも多いので、
なかなか突然連絡をとって会うというのは難しくなりますよね