文字の持つもの  2009年09月17日

Googleが全ての本を電子化しようとしていることを、
ニュースで知っている人もいるかもしれない。
この世にある全ての書籍を…と言いたいところだが、
著作権等の問題があるので、著作権切れになった本をベースに、
図書館と協力して書籍の電子化を行っているらしい。

しかし、紙でできた本を電子媒体にするというのは、
まだまだ多くの人にとって抵抗があるようだ。
利権や、著作者たちの様々な思惑などが重なって訴訟になったりもしている。

かく言う僕自身も、紙ベースの本が無くなるような事があれば不便に思うだろう。
しかし間違いなく、デジタル化された図書は一般的になる(断言)。
その時、本は過去から存在するメディアの一種として同時に存在するだろう。
並列的に存在するか、一種の貴重品になるかは分からないが…。

他にもたくさんのメリットがあるのだが、
この事に疑問を持つ人がいるのならば電子辞書を挙げたいと思う。
僕個人としてはぱらぱらとめくったり、順番に眺めることも好きだが、
電子辞書の軽さ、コンテンツの多さ、検索の引き易さから、
一気に普及して僕も便利に利用している。

もともとGoogleは、Web上に存在する有益なデータを簡単に引き出す事を目的として、
検索技術のベンチャーを始めたのが始まりだ。
創設者である彼ら2人が博士課程の学生だったこともあり、
Webの情報の他にも論文や図書をもっと手軽に利用できないかとも考えていた。
だから、創業当時から言っていたこの事業は、何としてもやり遂げるに違いない。

余談だが、電子化された本を利用する技術という意味で、
2004年頃から僕は、電子ペーパーと呼ばれる、
液晶よりもはるかに省電力なディスプレーの一種に興味を持っている。
よく知られている所で言えば、amazonkindleに使われているヤツだ。
見た目の美しさや、画面の切り替え速度などにまだまだ課題があり、
日本では今のところ流行りそうにないモノだが、
この辺りが解決されればこういったデバイスが一気に広まるだろう。
一時期は本気になってこれを研究しようかと思ったぐらいだ。


閑話休題


よく、言葉は雰囲気を共有したり、感情の共感を伴う中で使われる、
リアルタイム性を重視したコミュニケーションだと言われる。
そのため、同じ言葉を繰り返したり、韻を踏むことや音律・抑揚が大事になってくる。

逆に、文字は構成を重視し、理解や納得を重視したコミュニケーションだ。
言葉にあるような"言外の表現"がない反面、
時間や空間を超えて情報を伝えることができる。
おかげで僕は、二千年も前に誰それが言ったとされるような言葉も、
千年の時を超え、場所は極東たるこの日本で知ることも可能だ。

そのためか、よく言葉と文字は二律背反的に語られることが多い。
しかし、現代のコミュニケーションが示すように、両者は互いに影響を受けている。
例えば、ここに書いてある文字にせよ、
僕が言いたいことは何だろうそうだ、ひらめいたっ
みたいに書けばこれはもう話し言葉に近い。
TVで使われる多様な文字のインポーズもとても感覚的なものだ。
(今でも印象的に覚えているが、白の字幕でないテロップを初めて使ったのは、
フジテレビのめちゃイケだったように思う。
初めはボールドの赤で「怒。」「!」などを表示するだけだったが、
次第にその表現も多彩になっていった。)

逆に口頭で話すにしても、ディベートであったり、
裁判に使われるような会話は、理屈が優先される。
またまた余談だが、自分の話し言葉は文字に大きく影響を受けているようだ。
話し方も可能な限り抑揚がなく、理屈が通ることを念頭において
しゃべっているような気がする。

なんにせよ、紙の本でしか感じることの出来ない味わいがあるなら、
決して廃れることはないだろう。
逆に、紙の本では実現できなかった利点が生まれるなら、
新しいメディアは一気にその地位を確立できるに違いない。
ラジオ然り、TV然り、マンガ然り、だ。
そういえばTVがこれだけ普及しても、決してラジオは無くならなかった。
電子書籍も、その携帯性と扱いの容易さ、情報の検索性からいつか普及するだろう。
従来の本も、思索することが人間の力であり続ける限り無くなる事はないだろう。

情感を育てること、知性を鍛えること。
どのようなコミュニケーションでも良いが、
他者と交わることでこの二つをはぐくんでいくことが人間にとって必要だ。


N
書籍の電子化は昔から言われていますよね〜。
自分的には今のところは本は紙で派です
まぁ、内容にもよりますが…。なので普及し始めている電子コミックスには一度も手を出したことがないですね「試し読み」…程度ならしますけど。

(趣味として…のレベルですが)マンガを描く立場としては、原稿もアナログ派です。「描いたぁぁぁぁぁぁぁ」という充実感がある完成原稿の紙の重さが好きです
確かにデジタル原稿は描くのは楽ですが、誰でも簡単に描けてしまう分、個々の技術というものが廃れていく気がするんですよね〜。ペンのラインの引き方、効果、スクリーントーン技術などなど…。

電子的な技術が向上する分、その人間自信の「技」とか「匠」的なものがどんどん世界から消えてしまっていくような??
生活は便利になるけれどちょっと寂しいですね

テレビのテロップはここ数年で爆発的に普及しましたよね。
確かに見る側としては画面に迫力があって面白さが倍増するかもしれませんが、最近は「やりすぎ」感があると思うのですが…
出演している人が喋ることを全て画面内に文字としてあげる傾向があるので


正直ウザイです



むしろ、そのタレントさんが面白いのではなく、文字表現が面白いのでは??と思わずにはいられないことも…。
だから最近はバラエティ系番組よりも見るなら淡々としたN●Kっていう気がするんですかね??


話は戻って、兎にも角にも「電子化」は良いとしても、最終的に生き残るのは紙??な気はしますけどね
「電池」とか「電気」が無くなったら(地球レベルでなくなるのではないとしても、災害などでそういうエネルギー供給が断たれている場合とか…)勝つのはアナログ(紙)です
地震が起きて電力供給が断たれても、たとえ電池が買えない状況になっても、家自体が無事ならこもってひたすらマンガ読みますよ〜



k
>>Nさん

書籍の電子化は、ようやく普及し始めたという感じでしょうか。
マンガを出版している所は電子コミックスに本気で力を入れているようですね。
アメリカでは電子化された本も普及しているみたいですが、朗読を録音した本も広まっているようです。
それなら長時間車の中にいる人や家で家事をしながらの人でも聞けますし。

新聞や雑誌などの一度見たら捨てられるようなコンテンツは特に電子化に向いていると思います。
僕にとっても本は印刷された文字の四角な配列だったり、
ページをめくることだったり、残りのページ数だったりが、
コンテンツそのもの以外で大事な部分かなと思ったりしています。

マンガのような絵がある本は紙質そのものや印刷の美しさ、エンボスなども美観として重要なので、
表示媒体によって質が変わってしまう電子データはちょっと避けたい所ですね。
でも、携帯のような機械でいつでもどこでも見られるというのも、
人によっては魅力的なんじゃないでしょうか。

僕自身はマンガを描いた事がないのですが、
絵を描くときは描いては修正し…の繰り返しなので、
下書きからペンを入れたり色を塗ったりする一発作業は
気軽にやり直しができるデジタルの方が便利そうな気がしてます。
その意味では生の原稿とか、あんなものを描けてしまう人は本当にすごいと思ってしまうのですが(笑)
トーンに関しては簡単さと種類の豊富さから言っても、デジタルの方が確実に良さそうですね。

時代が便利になるにつれて廃れていく技術というものはあると思いますが、
そちらに関しては悲観することもないと思いますよ。
今の時代、火の熾し方を知らなくても、竈を使えなくても、
食べられる植物と食べられないものを見分ける知識も、馬にのる技術も、
弓や槍を使う技術も、草鞋の編み方も、屋根の葺き方も、誰も困らずに生きていけます。

その替わり、車に乗れなかったり、携帯やPCを使えなかったりすると、
人によっては非常に不便になったり、仕事上致命的だったりします。
身につける技術の量と質というのは、中身は異なれどどの時代も基本的に同じレベルなんじゃないでしょうか。
ニコ動の「弾いてみたシリーズ」を見たり、同人活動をしている人を見たりすると、
「匠」とまではいかないまでも、世の中にはすごい才能と
技術を持っている人がいるんだなぁと感心してしまいます。