イド  2008年06月09日

僕はいつも、好んで重苦しい下の方で生活している。
村上春樹が、その著作の中で井戸と呼んでいる地中の底、
ひとり籠もって、自分の内面を見つめる作業をしているような場所で。

年に数度あるかないか、僕の自我はまるでアクロバット曲芸を行う飛行機みたいに、
軽妙で、洒脱になるときがある。
そんなときの自分が、もしかすると本当の自分なのかもしれない。

僕が思う本当の自分は、ぼぉっとしてどこか抜けていて、
笑ったり怒ったりが激しい。
気にくわないとかんしゃくを起こして無口になって、
楽しいことはみんな巻き込まないと気がすまない。


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自分を深く潜っていくと、それだけ自分が感じられるような気になる。
この作業は、まわりに人がいると雑音(ノイズ)となってしまうので、
ひとり孤独になれる環境が必要だと思う。
瞑想、単調な運動、祈り、そして俗にいう三上は、そういった状態になりやすい。

そこには何でもあるようであり、何にもないようでもある。
同じ物がたくさんあるし、全部が全部異なっている。
すぐそこに大事な物があるはずなのにまったく見えず、
どうでも良いことはいらないほど正確に見える。

色でいうなら透き通る透明、
切り裂くような赤、
絶望を宿しそうなほどの青、
オレンジと茶色が混じる濁りきった黒。
拒絶する白。


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二つの意志を宿せば指一本動かすことままならず、
ひとつの意志なら必ず目的を成し遂げる。