乙女の髪には 2008年05月30日

iPhonesoftbankから出るみたいだね。
6月中旬までにははっきりしそうです。
携帯は変える気ないけど、本体は一度生で見てみたい。

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“乙女の髪には 英知の風吹け”

兄が原稿のコピーを持っていたということは、
25期が卒業のときのもののようだが…。
前半と合わせて言えば男性は勝利で身を飾り、
女性は智慧を求めよ、ということなのだろう。

小説や劇で描かれる女性の不幸は、
自身の感情の深みにはまって抜け出せないこと、
今の境遇をあきらめ受動的に受け入れてしまっていること、
にほとんど起因しているように思う。
男性の場合には、感情が単純な分だけ客観性を持ち、
攻撃的な分だけ外へ打って出ようとする。

その意味で、そうした状況を乗り越える力が“智慧”、
生きるための哲学なのだろう。

まぁ現代は男より女の方が力強いと言われているようなので、
むしろこうしたことは男にこそあてはまることなのかもね。


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人の外面に現れる多数の表現型を、
ある人は仮面(ペルソナ)と呼び、
ある人は別人格であるとする。

人格とは何だろう。
自己同一性を認識する、一連の意識だろうか。
人は、異なる環境や、異なる人間に対するだけで、
まったくの別人と言えるほどの変容を生じる。
僕自身の経験から言っても、
特定の場所に行ったり特定の人物に会ったりするだけで、
心の状態とそれに伴う表現が大幅に変わるのを
時に不思議に、時に忌々しく思ったものだ。

しかし考えてみれば、
いつも同じ表現型であることの方が、
人間として不自然な状態であるように思える。

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人の外面に現れる多数の表現型を、
ある人は仮面(ペルソナ)と呼び、
ある人は別人格であるとする。

人格とは何だろう。
自己同一性を認識する、一連の意識だろうか。
人は、異なる環境や、異なる人間に対するだけで、
まったくの別人と言えるほどの変容を生じる。
僕自身の経験から言っても、
特定の場所に行ったり特定の人物に会ったりするだけで、
心の状態とそれに伴う表現が大幅に変わるのを
時に不思議に、時に忌々しく思ったものだ。

しかし考えてみれば、
いつも同じ表現型であることの方が、
人間として不自然な状態であるように思える。