Avoid “agonizing valley” 2008年03月07日

不正に生きる人間の末路は。


不快を与える人間によって、周囲の人間が不快になるのは不条理だと思う。
罪を犯す人間によって、罪の無い人たちが不利益を被るのは不正だと思う。

だからといって、不条理を悪によって報いてはならない。
悪を不正な手段で報いるのは正義ではない。

怒りや憎しみをそのままぶつけることは不正である。
だからといって、無関心で良いということはない。

距離をおいて、関係のないふりをするのは、
一見賢く見える、安易な道のように僕には思える。

正しいことは、時に利益あることではない。
それどころか、意図は誤解され、他人に嘲笑され、
無理解な批判をされることもしばしばだ。

僕はときにこうも思う。
「お前は人に何か言える程、偉いのか?」
自分自身が心正しい人間でも、優れた人間でもないことは
自分が一番承知しているし、そんなことを言う資格はないのだろう。

もしそれによって、何らかの報いを受けたとしても、
それはしょうがないこと。
それでも、言わずには、行わずにはいられないことだってある。