詩と詩人 2007年06月23日

トルストイは芸術についてこう語った。

「人間の最も重要な作品とは、その人生である」

詩人についてこう記した。

「詩人は人生における最高の部分を取り出し、その作品に盛り込む。
詩人の作品が美しく、その人生が醜悪になるのはそのためである…」

詩を、このように考えていた。

「詩の力は愛にこそある。愛がなければ詩はないのです…」


芸術であれ、詩であれ、歌であれ、
あらゆる表現されたものからはその作者自身が反映されている。

だが、美しい作品を書くが故に
詩人の人生が醜悪になるというのであれば、
人は醜悪な作品を書くことで人生を美しくできるのだろうか。

私の人生には愛しかない、と語った人の言葉は、
全て詩として響くのだろうか。



Y
ああ、解るなあ。
いや、解るような気がしてしまいます。

>「私の人生には愛しかない、と語った人の言葉は、
  全て詩として響くのだろうか。」

私は響かないと思う。
少なくとも、私には響かない。
だって、愛しかなかったら、
其の愛は人生における「最高」の部分には成り得ないから。

人生が醜悪になってしまうのは恐いけれど、
それでもいいって思っちゃうんだよ、うん。

あー、しょーもナイ事云っちゃった。笑笑


k
うーん、なんか調子悪かったみたいだけど…大丈夫だった?

日本語の愛と、西洋の愛の意味合いが微妙に違うというのも有るんんだと思う。詩にも抒情を詠うものと哲学を謳うものがあるけど、醜悪になる、といえるのは抒情を詠う詩人のような気がしてます。
ダンテや、ミルトンや、ゲーテや、ユゴーや、ニーチェの人生はむしろ苦難と闘争の人生だったし。

感覚的な美や愛を最高のものとして求める姿勢が、自身を滅ぼしていくのかも。
それ以外については、自分の中でまだ消化しきれてないかなー。


Y
ありがとう。もう大丈夫。
文章に出来るという事は、もう整理が付いているという事なのです。
……たぶん。笑

最早、何が美で何が醜悪なのかさえ判らないよね。むー。

むー。消化出来る気がしない……。笑
ボヘミアンは、難しいことを考えるのが苦手なのです。むー。

k
うーむ、そっかぁ。
俺も難しいことはよく分からないけど、今度みんなでまたパーッと飲みに行きましょう☆
話せば軽くなるし、話せなくても楽しい事があれば少しは軽くなるでしょ?

Y
なる。
軽くなる。なる!←断定。

何かあると、
直ぐに「楽しい事禁止令」を出しちゃうからいかんのだ。
……と、母は云う。笑

パーッと飲みに行って、莫迦話をしよう。
なおみんの試験が終わったら、予定を立てよう♪
……今度はキャンセルしたりする事の無い様に気を付けよう。苦笑