ロボットの未来 2009年04月08日

瀬名秀明の「瀬名秀明ロボット学論集」という本を読んでいる。
けれどまだ最初の方をちらっと読んだだけ。
誰だと思われるかもしれないが、「パラサイト・イブ」の原作者だ。
調べたら静岡県出身で、本名が鈴木秀明だった。
静岡市は鈴木が多いのだろうか・・・。

もともと東北大学薬学部にいた人で、博士課程時代に作家デビューしている。
そんな人がロボット?と思われるかもしれないが、
おそらくはパラサイト・イブに続く2作目「BRAIN VALLEY」から、
脳について興味を持つ→意識(認識)と人間に興味を持つ→
「人間を模倣する存在としてのロボット」に興味を持つ、
という筋道を追っているのだろう。
実際、ロボットと聞いて人々が思い浮かべるのは、
人間をはじめとした生物を機械で模倣した存在だからだ。

実際には「ロボット」と呼ばれる存在にはいくつかの種類がある。
ロボットはもともとの語源をチェコ語の「(強制)労働」に起源を持つだけあって、
「人に代わって仕事を自動で行うもの」と定義される。

そのため、ある種の業務を専門で自動的に行う機械が、
産業用ロボットと呼ばれ広く用いられている。
まぁ工場で働いているのでなければ、実際に目にする機会はほとんどないが。
しかし、人に代わって仕事を行うと言っても、
普通ATMや自動販売機はロボットとは言われない。
このあたりは難しいところだ。

もうひとつは人型をした、自律的な行動ができる機械だ。
空想的にはドラえもんやアトムが有名であり、
現実的にはASIMOなどが広く知られている。
ここにもちょっと難しいところがあって、ガンダムマジンガーZのように、
人が操縦する人型機械もロボットと呼ばれている。

ロボットは機械であるため、基本的には機械工学が発展すれば実現できると、
多くの人は思っているに違いない。
しかし現実には、ロボットの本質はハードではなく、ソフトにある。
現在ロボットを実現する上で最も困難なことは、人間でいう神経系にある。
外界の情報を捉え、適切に処理し、最適な行動を選ぶ。
口で言えば難しいことだが、人間であれば誰しもが自然に行っていることだ。

ガンダムにせよ、エヴァンゲリオンにせよ、操縦の最初において
重要視されたのは「立つこと」「歩くこと」だったが、
今実現されている人型ロボットは、人間にたとえていうならば
目をつぶって歩いているのに近い。
さらに言えば、正座して足の感覚がなくなっている状態を付け加えれば完璧だ。
一度目をつぶって普通に生活をしようとすると分かるが、
家の中でさえ迷子になったり、果ては怪我をする可能性が高くなる。

せめて目は見えなくとも、平衡感覚と触覚さえあればなんとか歩ける。
そしてそれが今のロボットの現状だ。
触覚にしても、足裏にあるのがせいぜいではあるが。

だが、人々に求められているロボットというのは、
そのような「機械的」なものではなく、もっと人形の延長上にあるものだ。
それを実現してくれる方法が、たまたま機械工学だったに過ぎない。
話し相手になったり、遊び相手になったり。
それはどちらかといえばペットに対するのと近い感覚であり、
愛玩動物である彼らは何をしてくれる訳ではないが、
世話をしたり愛したりすることでそこには一種の関係性が生まれる。
あえて言うなれば、それは「感情移入できる」ものであることか。

もちろんそれだけではなくて、食事を作ったり世話をしてくれたり、
そういった実用的な作業面で求められるのも確かだ。
けれどそれらは何も人型である必要性はまったくない。
たとえば産業用ロボットと同様に、
専門の作業に特化した機械があるのが一番効率的だ。
なぜ、人型で、人と同じ行動をとるものが求められているのか?

現在僕の中で、実用面におけるロボットという概念に一番近いのは、
インターネットの検索システムだ。
機械ですらない、実体すらない、けれどもそれらは、
人間からの入力に対し、いつもそれに対応した出力(サービス)を提供する。
膨大な情報の中から、単語にヒットした情報をより抜き、
なんらかの重要度によって1から順番付けされて表示される。

100年後か200年後か知らないが、
いつの日かとある情報処理系(今でいうパソコンやサーバ)で構築された、
実体を持たないサービス群の集合体ができるだろう。
今でもどこかにその萌芽があるのかもしれない。
それらの端末として、人間型・生物型の機械が存在し、
人々のあいだで社会的基盤として必要不可欠になる未来があるかもしれない。

まだまだ課題があるにせよ動作に関わるハードウェアは今の技術で実現できる。
しかし、ロボットの知能・知性をどのように実現するのか、
そのためには人間の認識力はどこから生まれているのか知る必要があるだろう。
そしてロボットが本当に必要なのかーーー。

ひょっとすると、今存在しているのとはまったく違う技術によって、
それらが実現している可能性は大いにあり得る。

未来は、きっと僕をわくわくさせてくれる。