Leon the great (偉大なるレフ) 2007年05月31日

レフ・トルストイ
文学史に輝かしい名前を残す巨匠。

トルストイと妻ソフィアは互いに深く愛し合っていたが、
妻は夫の思想を理解できないゆえに、
夫は自分の魂を裏切ることは、死よりも家族よりも
できなかったがゆえに、二人の結末は悲劇的だった。


地位も名声も手に入れた、人生も半ばを過ぎた男が、
突然莫大な全財産を捨てようとしたら、
周囲の人間は気が違ったと考えるだろう。
ソフィアにはトルストイがまさにそのように見えた。

長編「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」を著し、
文豪の名声並ぶものなきトルストイ
何千ヘクタールもの土地を所有し、
爵位を持つ伝統ある名門貴族のトルストイ
そのトルストイは50歳を過ぎたころ、
自殺を考えるほどの苦悩を味わう。


その苦悩とは、このようなものだ。
「私の足下には、もう何もないように思えた。
私の人生を形作っていたものが、もう存在しないような気がした。
私には生きる手だてとなるようなものは、もうなかった……
私は外見的には全く幸福で健康な人間でありながら、
もはや生きていけない気がするくらいだった。
暗闇の恐怖はあまりにもすさまじく、今すぐにでも
ひもか弾丸によってその恐怖から逃れたいと思うのだった……
何かが間違えていると思った。
しかし何が間違っているのか、知ろうとするのだが無駄だった。」


その暗闇の中にあって、少しずつトルストイ
生命の力が信仰の中にあること、人間のもっとも深い智慧
信仰によって得られる答えのなかにこそ
見出せるということを理解していった。


トルストイは他者を愛すれば愛するほど、
誰かの幸福ために働くほど、自分の苦悩が癒され、
生きる力が湧いてくることを知った。

素朴な人びとと交わり、人生はそれ自体むなしいものではない、
悪ではないとわかった。

しかし、自分自身の人生はなんの意味もなく、
堕落しているとトルストイ自身は思っていた。


なぜなら、トルストイが貧民街の簡易宿泊所から家へ戻ると、
料理人の作る食卓が用意されている。
白いテーブル掛けの上には果物やお菓子がある。
暇を持て余す気ままな娘たちと、いそがしく立ち働く召使い達。
つづれ織りの壁掛けが、敷き詰められた絨毯が、
いやでも目に入る。

「これだけあれば何人もの貧しい人に着物を着せてやれる!」
そんな時のトルストイの心は、苦しみに締め付けられ、
また、怒りで張り裂けそうになる。


貧しさで死にそうな人びとがいるというのに、
その傍らでは平然と私たちが無為に暮らしている。
トルストイには許せない行為だった。



ソフィアは家族を愛し、大学に通う息子、
社交界に出ている娘たちのためを考えていた。
体面を保つのに必要な家や、馬車や、舞踏会や夜会に必要な品々。
一定の生活を維持していくのには、その分のお金が必要なのだ。
そのお金を全て、夫がごみのように投げ捨てようとする!


彼女の夫への愛情や献身は非凡なものであったが、
彼女もまた上流階級の子弟として教育を受けたものの常識として、
トルストイの精神的苦痛が理解できなかった。
それどころか、精神に異常をきたしたのではないかと
思っていたのだった。


そのようなすれ違いの結果お互いが誠実な気持ちを持ち、
深い愛に満ちていたにもかかわらず、
延々と続く口論をしてはお互いを傷つけあっていたのだった。



E
なんか深い日記だね。
たしかに結婚する上で「何が一番大切か」っていう価値観が合っていることは大事だよね。
その上で歩み寄り、お互いを理解していきたいと思うなぁ。
ってこのこと考えるきっかけがなにかあったのかな??

k
きっかけは特にないんだよねぇ(ゴメン…)
あるといえばあるんだけど、いろんな要素の複合の結果というか。

俺は昔からトルストイが好きだったんだけど、
トルストイの最期は客死で、その原因が
“ソフィア夫人から逃げ出した”というのも1つの見方なんだよね。
こんな偉大な思想家の最期が、「奥さんが恐くて逃げ出して死んだ」
ではあまりに情けないでしょ?
具体的にどんな経緯があったのかを知りたかったのが1つ。
このことを先生が「偉大なる出発」と言われていたのが1つ。
実際に、トルストイは全てを捨てて旅に出たいと
ずっと思い続けていたらしい。
あとは「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」の後には
なかば筆を折り、農民の教育やキリスト教の深化に努めて
執筆をやめてしまった原因(回心)を知りたかったのが1つ。
もう1つは理解されない事や孤独に対する共感?とでもいえばいいのか、
そんな感じのこと。

期待はずれな答えですみません。

トルストイに限らず、あまたの優れた人格でさえ
このように人生の宿業を乗り越えることができなかったことを思うと、
その方途を知っていることだけでさえ、どれだけの福運に恵まれたことかと思います。

あー、長くてごめんなさい。。。

Y

深ーい。

トルストイにせよ、Kにせよ、
考えていることを理路整然と文章化できるところが凄い。
(でも、生産された作品を享受しただけで
 その人のすべてを解ったつもりになるのは、
 享受する側の傲慢だと思ってるんだけど。)
私なんか、書いてる途中で面倒になっちゃうもん。
昔から、人に伝えようとする意志が薄弱なの。笑
義務教育期間はそればっかり注意されたわ。あー。
だから歌詞とか台詞に執着心が在るんだよね。
媒体になってくれるからねー。

「屈折を抱えてる人間」が大好きな私には、
トルストイ的・ソフィア的思考はたいへん魅力的ですが。笑
大切にしたい人を望まれるように理解できない、っていうのは
たいへんな苦しみなのだろうなあと思います。
大切にしたいのに、その方法がわからないんだもんね。

あーあー、もう、いろいろごめんなさい。
ほら、全然纏まらないのに終わりにしようとしてるよ!笑

どうしても解り合えない根本的な格差が、
人と人との間には在るんだと思う。
そのことに或る日深い実感として気付いてしまうと、
穏やかで円満な人生を剥奪されてしまうような、
そんな印象を受けます、私は。

長ーい。でも浅ーい。
……ごめんなさい。。。

k
>>Y
俺とトルストイが同列の扱いなんて恐ろしい。
自分はただ解説をしているだけで、何かを作ってるわけじゃないからねぇ。
小学生の頃とか自分で物語を書いたりする子とかいたけど、
ああいう能力が自分にはまったくないし。

どうしても解り合えない根本的な格差、かぁ。
この場合お互いがどうしても譲ることのできない所で
衝突してしまったことが残念なことでした。
格差というよりは人間にもともと備わるもの、
キリスト教では原罪と呼び、仏教ではカルマ(業)と呼ぶ、
そんなものなんだろうね。