カラマーゾフの兄弟 2007年01月16日

光文社という出版社から、カラマーゾフの兄弟の新訳本が出ている。
先日兄が新しいカラマーゾフの兄弟が出たと教えてくれた。

ロシア文学は登場人物の呼称が1人につき最低3つあったり、19世紀の時代背景がわからないと難しかったりで読みづらいのだが、今回の新訳ではその内容が分かりやすく読みやすくなっているとのこと。
これまでは岩波文庫新潮文庫から出ていたのだが、そちらは言い回しや表現などがやや古風な感がして、いきなり読もうという人には敷居が高いと思う。

今日、思い立って衝動買いしてしまったのだが、面白い本を読むときに感じる感覚は僕にとって何物にも代えがたい快感だ。

この本を初めて読んだのは大学1年生、数えで19歳の、この本の主人公であるアリョーシャと同じ年齢だった。
今は数えで**歳(**だ…間違えた)、次男のイワンと同じ年齢だ。

今読んでみてもアリョーシャと自分は似ているなぁ。
けれど、時を重ねた今は兄のイワンの考え方にだいぶ変わってきているような気もする。
希望と絶望。
信じることと疑うこと。
悲惨はなぜ、存在するのか、

真摯に生きるということは、いかに難しいのだろう。
どうでもよく生きて、いきあたりばったりで毎日を過ごす。
そんな日々は、もううんざりだろう?



Y

そうそう、新訳、出てるよね。
やっぱり読みやすくなってるんだ。

ただ、なんだか光文社文庫って、
字体や紙面のレイアウトが好きじゃないんだよねえ……。
表紙の手触りは好きなんだけどな。
なんでだろう。そういうのって、ない?
私は新潮社文庫の、あの古臭い感じが好きなんだよね。笑
でも読みやすいんだったら読んでみようかな。

うん、そんな日々はうんざりだ。
真摯に生きたいな。
でも想ってるだけじゃ叶わないな。
むううぅ。

k

言われてみればそうかも・・・
字体はともかく目次やらレイアウトみたいなのは結構適当?な感じがしなくもない。せっかく出すんだから、もっと見た目に気を使ってもいいかも。

ドストエフスキーの作品中に出てくるような人間のように生きられれば、仮にそれが不遇な境遇であれ悪人であれ、少なくとも「俺は生きたぞ!」と誇れるような気がします。
それを解決するためなら命をかけても良いほどの悩み、そんなものを抱えて生きるのはもしかすると苦しいだけ、不幸なだけかもしれないけどね。

Y

そうか!あの適当さ加減が赦せないのか、私は!

確かに。生き様あっての死に様だからねえ。
何一つ悩みのない人生よりは、
よっぽど生き甲斐のある「不幸」だと思う。
「悩みの無いのが悩みです」、
なんてお気楽なことを心の底から言えちゃうような人生だったら、
別にその人生、私が生きなくたっていいでしょ、って思う。

でも、そんなに大それた悩みなんて、
私なんかには抱えようもないんだろうな。
なんか悔しいよねー。笑

k

まーねー。
世の中にはいろんなものを抱えて生きている人がいるのに、
自分はこんなに気楽に生きてていいのかと自問しちゃうね。