Conscience 2006年12月

IAEA(国際原子力機関)とエルバラダイ事務局長。

国際原子力機関とは、いうまでもなく原子力の平和利用と軍事転用防止を目的とする国連機関のことだ。その永年の働きと今後を期待され、昨年のノーベル平和賞受賞者ともなった。

そのエルバラダイ事務局長は現在来日している。
その彼の言葉に強くショックを受けたので、紹介したい。

「私ができるのは、平和の必要性を訴えることです。
私たちがいる世界では、いまだに、8億5千万の人々が餓えています。これは、人類の良識における一つの汚点であります。世界の人口の4分の1は、1日2ドル以下で暮らす生活水準を強いられています。これも、私どもの良識に対する汚点です。」

人類の良識に対する汚点!
このような言葉は、どのような視点に立てば言うことができるのだろう。僕の想像が及ばない、遥か先。
彼のノーベル賞での受賞スピーチ(http://nobelprize.org/nobel_prizes/peace/laureates/2005/elbaradei-lecture-en.html)は、奴隷制やジェノサイド(大量虐殺)と同じく貧困・紛争・組織犯罪・テロ・核兵器なども、タブーとみなされなければならないと訴える。
はたして僕は世界で誰かが餓えていることに、どうしようもない貧困にあえいていることに、どれだけの痛みを感じていることだろう。
そう、僕はつまるところ恥ずかしくなったのだ。

もう何度も耳にしたかもしれないが、世界がもし100人だったなら。20人の人は豊かな暮らしをしており、その少数者が全ての富の80%を享受している。それに対し、40人もの人々が日に2ドル以下の生活の生活を強いられている。
日本に生きる僕は確実にその20人のうちに含まれており、おそらく全ての諸費用を日で割れば、1日に100ドル、1万円を優に超す額を使って生きているだろう。

平和への脅威に対して、現実に戦っている人は言葉の重みが違うと感じた。もし現代においてもこのような言葉が使えるのならば、英雄や勇者といった言葉はまさにこのような人たちのためにあるのだろう。

様々な思惑により多くの国家は、人類を滅ぼしかねない核によって他国の恣意化を図るが、このような人たちの結論はこうだ。「核兵器は廃絶されなければならない。平和は軍備に依存するものではない」と。