Miss 2006年12月

失敗は誰にでもあるもの。

「失敗学」という言葉を聞いたことがありますか?
失敗から学べることを、経験則ではなく理論化していこうという試み。

これ以外にも、渋滞学なんかも個人的には興味深いと思っています。どちらも新しく出来た感じの学問で、僕的にはけっこう世の役に立ちそうだと思っているのですが。

いまたまたま「失敗学 実践講義」という本を読んでいるのですが、一番最初の項で森ビルの回転ドアの話が1例として出てきます。けっこう大きなニュースになったので覚えている人も多いと思いますが、これの原因は何と言われていたかというと、「回転ドア自体が異常に重かった」ことがあげられていました。
でも実際には母親と手をつないて歩いていた子供が、急に閉まりつつある回転ドアに向かって飛び出したという状況。子供の前傾姿勢と身長のため、安全装置が働かずに起こったようです。

さて、ここで悪いのはこのようなドアを作ったメーカーか、子供をしっかりみていなかった母親か。
この本の中ではこう結論付けられている。「親の不注意が大きいというのも確かに正論ではある。しかし、車が飛び交うような大通りならいざ知らず、そもそも回転ドアが殺傷能力を持っていること自体に問題があった」と。
ちなみに子供の死亡原因の第一位は病気ではなく、「不慮の事故」だそうだ。僕にも覚えがあるが子供には好奇心があり、目の前で透明で綺麗なガラスが回転しているのを見れば入って遊んでみたくなるもの。

さらにこの事故を詳細に調べていくと、このドアに関する事故が報告された数だけで32件。「ハインリッヒの法則」(1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異状が存在するというもの)という経験則が当てはまる。

また、同様の事故が30年周期で発生するということも書かれていた。30年といえば人間の1世代のサイクルだ。経験を重ねた人がいなくなることによって、大事な知見が失われるということらしい。

失敗(事故・過失etc)は確率的に必ず起きることである。失敗学とは事故をなくすことではなく、事故を起こさない努力をしながらも、事故が起こることを前提として「最悪の事態」だけは「絶対に」避ける、というのがその趣旨らしい。そのためにどのような方策・指標が取れるのか書いてあった。

失敗学とは別にこの本で印象的だったのが、「安全に慣らされすぎたせいなのか、人間の危険感知の領域が狭くなっていることで起きる事故が増えている」という文章だ。
例として駆け込み乗車を挙げているが、以前トラブルに巻き込まれるのは時間に追われるサラリーマンのような人たちだったのが、女性やお年寄り、ベビーカーを押している母親までも同様に駆け込み乗車をしているという。これには「電車のドアは安全」「誰かきっと助けてくれるだろう」と信じて疑わないからだろうと書かれている。実際に、ベビーカーが電車のドアに挟まれ引きずられる事故が起きているというのだから驚く。
普通になりすぎて意識しないけれど、車、食べ物、各種電化製品などのモノから政府、銀行などのシステムにわたって、あらゆるものには便利さの裏面としての危険がつきまとう。

日本では笑い話として「猫をレンジに入れたら死んでしまった」「ファーストフードのコーヒーで火傷した」等のアメリカの訴訟話が出ることがある。僕もバカらしい話だと思ったが、確かに本質的には電子レンジも熱湯も危険物だ。

「あり得ることは必ず起こる」というのが前提として必要だということを学んだ。回転ドアももちろん、考えうる「普通の事故」の範囲内では対策がとられていた。しかし、「子供が急に飛び込む」という事態は想定されていなかった。この場合、必要だったのは本質的な安全、つまりドアに挟まれても最悪ケガですむ重さ、大きさにすべきだったということだ。