行為の不定について (2006.09)
「常に同一の人間であることがいかにむずかしいかを思え」
僕らの行うことは普通、不思議なほど矛盾していて、
とても同じ人間から出たように思われないほどだ。
僕らの普通の方法は、欲望の赴くままに、右に左に、上に下に、機会の風に任せて行くことにある。
自分たちは欲しいと思うものを、欲しいと思う瞬間しか考えずに、
置かれた場所につれて色を変えるカメレオンのように、常に考えを変える。
「その生活を全体としてあるきまった目的に向けていない人は、
個々の行為に秩序を与えることができない。
頭の中に全体の形ができていない人は個々の部分を整理することができない。
何を描くべきかわからない人にとっては、絵具がいくらあっても何の役にも立たない。
われわれは1人として、人生の決まった計画を立てず、人生を部分的にしか考慮しない。
射手はまず、何を狙うかを知らねばならない。
それから手と、矢と、身のこなしを整えなければならない。
われわれの計画は方向も行先ももたないから、あらぬほうへそれるのである。
行く先の港のない船にはどんな風も役に立たない。」
以上、そのまま本から引用。
いろんな出来事の風がその風向きによって僕を動かすが、
それだけでなく、自分自身が定まらないことも僕を動揺させ混乱させる。
振り返ってみれば、変わらぬ自分であり続けることはなかったはず。
そして、ちょっと変わるだけでも自分の中にあらゆる矛盾が見出される。
誰もが自分の事をある決まった人間だと信じ込んでいるが、
誰だって陰気で陽気、嘘つきで正直、強靭で過敏、利発で愚鈍、饒舌で無口といった、
様々な相反する側面を持っているのを見出さないことはないだろう。