えっそんな人と付き合うの?(2006.12_2)

前回(注・2006.11)書いたときには、どうやら気持ちが昂ぶっていたらしいです。
例えれば、結婚でも申し込みそうな勢いでした。

普段自分では気付いてないだけで、実はいろいろ抑えてるのかもね。
まぁ普通の男なんで、その辺は違わないかな。

ひとつだけ言えることは、自分で邪魔になりそうなことを
避けるように生きているってこと。
それだけ流されやすい人間なので、自分をいつも保っていられるよう
自分なりに自然と回避してしまっている気がします。
なんか・・・これじゃ女の子みたいだ。

僕自身は女らしい感性やら思考やらは持ち合わせてはいないけど、
そういった感じ方やものの見方をある程度まで理解できると
思っています。
そんなこんながあってきっとオトモダチ感を演出して
しまっているのではとちょっと危惧。

それはそれとして、ふと街で耳にする恋人同士の会話を
聞いてみると、僕がするような会話とは随分違うものだと
思わされます。
その違いを表現しろと言われると難しいのですが、
なんというか特に男の突き放すようなモノの言い方?みたいな。

もちろんできなくは無いですが、そのためには
上に挙げたような女の子的思考回路を殺して考えなければ
いけないので、なんだか心が痛んでしまします。
そう考えると、男の感じ方や優しさといったものが、
かなり遠いところにいってしまう感があり。

ところで、女友達の中には
「こんな奴絶対やめといた方がいいのに」って思うような男と
付き合ってしまう子もいます。
なんだろうねぇ、好きになってしまうものは
しょうがないのかもしれないけど、
男を見る目がないというか、きっと異性を見る目が
違うんだろうね。もしくは求めているものが。

逆に男が「こんな女と付き合わない方がいいのに」っていう
事例をあまり見たことがないかも。
いてもそれは本人も人も分かっている上での場合だと思う。
女の場合は、口ではそういっていても、内心では
「ううん、でもそんなことない!」みたいに思っているみたいだし。

女心は複雑だね。
僕は恋愛の絡む好き嫌いといった感情にあんまり興味がないみたい。
ものや出来事、または人間関係における好悪はわかるんだけどねぇ。
理由が思いもよらない事柄ではきっと考えることができないからなんだろうなぁ。


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僕にとってのゲーム(RPG)と本の共通性。
どちらも好きですが、それはきっと忘我の境地へと
いざなってくれるから。
読んでいるときや操作している時も、もちろん
自分の体の感覚はあるけど、それとは別に、
自分を自分だと認識させられるあのだるい感覚から開放され、
自分自身がその中の誰でもない主人公もしくは
観察者になっていることが好きな原因の1つかもしれません。

あと最近気付いたのは(前からうすうす思っていたけど)、
サッカーや野球ゲーム、シューティングや格ゲーなどの
反射型の操作が求められるもの、そして斬ったはったが
行なわれるようなのはあまり好きではないということ。
特に格ゲー、または戦国無双みたく切りまくりみたいなものは
なんか悲惨に思えてきてしまいます。
CMでなんか切りまくるのが爽快とか言ってた気がするけど、
あれ、すっごく自分的には微妙だったな。

昔年下の従姉妹にRPGは敵を殺したりするからイヤといわれた
経験がありすごく印象強かった覚えがあるけど、
もしかするとそういった感覚に近いのかもしれない。
そうするとRPG好きなのは自己矛盾だけど…
でも、RPGでも人間を敵にするのはちょっと引いてしまいます。

あ、レースゲームはなぜか大丈夫かな。

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もう12月。
師走かぁ。時の経つのは早いものですね。

家から新宿が近いのでよく行くのだけど、
ルミネとか紀伊国屋とかハンズに行くと季節を感じさせられます。
あ、紀伊国屋は違うか。
夏の終わりになると、まだ暑くても秋物が売られているし、
10月になるとハロウィーンの飾り付けやら何やらでオレンジ一色。
ハロウィーンも終わって11月になると、さっそく
クリスマスの準備にかかり始めます。
今だとイルミネーションが綺麗かな。

昔はイルミネーションをやっている所は少なかったけれど、
いまではどこでもやっているね。
うちの近くのマンションでも、木の周りにけっこう大掛かりな
イルミネーションが飾り付けてあって毎晩光ってます。

これからは本格的に忘年会、クリスマス、お正月、新年会と、
イベントが連続してやってくるわけで、なんだか慌ただしいなぁ。

そういえば今年はあんまり寒くない気がします。
これから寒くなるのかな?


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自己診断を行なってくれるサイトがある。
僕もやったことがあるけど、あれで何を得ているかを
自分なりに考えてみた。

結論から言ってみると、
人に自分がどのようなものか言って欲しい、ということだ。
自分がどのようなものか分からない。表現できない。
だから他人に言ってもらう。
人は自分を語る言葉を持たないのだ。

自分の所属している集団が多岐にわたること、
人間関係が希薄化していること、
社会の一機能として扱われること、など
いろんな原因が考えられるけど、
自分がどのようなものかわからないのは不安なもの。

でも、結局自分を知るだけじゃ何にも変わらなくて、
何か変えようと行動することが必要で、
そうやって得た経験の中で、自分というものが
徐々にあらわれてくるんだろうなと思った。


(2006.12_2)