幸福は、自分にとっての価値の大きさ

僕の欲しいものはなんだろう?
愛?夢?お金?
誰かのために役立ちたい?
人からもてはやされたい?

幸福とは生活の状態を示す形容だ。
しかもこれは人間の理想的な生活状態を表したもので、
万人が希望するところのものだ。
不幸の状態をその反対極として、
どのような種類の人間にとっても最高の状態で、
幸せはその通俗的な表現だ。
富貴、財産、名誉、地位はその一要素もしくは一様相を
表したものだ。

僕の欲しいものは、決して人と同じではない。
欲しいものを手に入れたとしても、いずれ他のものが欲しくなる。
じゃあ、欲しいものって何?
それは、自分にとって価値のあるもの。
他の人にとっては道ばたの石ころでも、
自分にとっては輝く宝石なのだ。
でも、どんな素晴らしく輝くものも、
そのものにとらわれてしまえば必ず色あせてしまう。
人生というものは、飽くなき価値の追求なのだ。

女の子で言えば、
キレイになりたい!は自分に価値を見いだすためかもしれない。
かわいい着飾るのは、あの人やこの人に
自分の価値を知ってもらいたいからかもしれない。
お金が欲しいのは安心を得たいからかもしれない、
あれが欲しい!と燃え立つ気持ちを心地よく満たすためかもしれない。
愛したい、は相手のために自分を役立てることかもしれない。
愛されたい、は無条件に自分の価値を見いだしてもらいたい、
なのかもしれない。

幸福な生活とは何か。
それはつまるところ、価値を遺憾なく獲得し実現した生活のことだ。


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幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、
不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである。

                                トルストイ


(2006.06)