メモ(The value of humanity) 2009年08月07日

いつの時代も世界を守っているものは人と人との人間的な繋がり。
現在の世界を動かしているのは巨大な経済原理。

一騎当千の優れた能力を持った人間や、世界最高峰の知性達の多くが、
その全知全霊を経済的な価値の追求に費やす。

お金とは何か。
様々な見方があるが、抽象化された、代替可能な「汎用的価値」と言ってよい。
つまり簡単に言えば「自由さ」と言うことだ。
お金があれば、自分の望むことを望むままに行うことができる。
(もちろん望むものが市場にあることが原則だが)

ここである一つの問いを立ててみよう。
人間の道徳性を、世界を動かす基本原理にすることは可能なのか。

人間は純粋に個人自身のためでなく、
自分を含む共同体のために行動することができる。

有史数千年を経て、集落から町へ、そして地方国家、国家まで、
その共同体レベルが発展してきた。
グローバリゼーションの広がりと共に、国境は意味を薄くし始め、
共同体レベルは地球規模に広がろうとしている。

時代の潮流は、人間の道徳性を高める方向に動いていることは確かだけど、
人類が自らのエゴによって自滅するのとどちらが早いだろうか。
来るべき破局、つまりカタストロフィは突然に訪れる。
それは自然災害が引き金となるかもしれないし、戦争が引き金になるかもしれないが、
今この時にも起こりうる現実だ。

世界は…
人口が指数関数的に増大し、それが限りある食料と資源の枯渇を招き、
増大した人間の活動は自然修復ができなくなるほど環境を破壊を行っている。

高い意識を持つ人たちはこの問題を憂慮するが、
多くの人たちにとって、身近に感じられるレベルに迫らなければ、
これらの問題を意識することはほとんどない。

経済の原理は単純かつ明快だ。
「自分が得をすること」、これに尽きる。
努力の結果は金額という形で即座に反映される。

これと同じくらいシンプルで分かりやすい道徳原理を、
未来の人類は達成できるのだろうか。
それとも資本主義の現代に生きる僕自身が、
この経済原理に冒されて、その視点しか持つことができないのかもしれない。
たとえば人権、たとえば男女平等、たとえば民主主義、
そういった当たり前の概念が、
その昔にあっては時の権力に捕縛されるほどの過激思想だった時代があったように。

スポーツ選手が注目されるように、研究者が表彰されるように、
社会活動家が尊敬を受けるように、
経済人は雇用とサービスという社会の利益を生み出していることに対し、正しく評価されるべきだ。
だが、お金をたくさん儲けることが偉いことではないことが、
もっと理解されなければならない。

未来の人類は、財産や能力によらない、
新しいかたちの人間的価値を評価するようになるだろう。

***************

百年後、千年後の人類が、今という時代をどのような視点で眺めるだろう。
僕たちが古代ローマの興亡をを愚かしく思うように、
今の世界のありかたを未来の人たちは滑稽だと思うに違いない。

文化的価値は時を経て残るもの。
この時代は未来に何を遺すのだろうか。



N
自分たちが生きた時代が歴史の教科書に載る時代がくる……その時代にまた生きてみたいですね〜
……ってその頃人間生きてるんですかね?環境問題とか政治的問題とかいろいろ抱えてますが…

「エコ」とか「自然保護」とか色々活動していますが、本気で地球環境のこと考えるなら(会社なら)事業をやめればいいじゃん…と思うわけで。
それが出来ないことろが、人間は根本的に「欲」を捨てられない自分保身な生き物だなぁと思います

とある雑誌に載っていたコラムで、
「国民が幸せになる国づくり」をしている国の話がありました。(多分ブータンだったような??)
国民総幸福量」だかという指数があるそうで。国民に「あなたは今、幸せですか?」と聞くと、9割以上が「はい」と回答するそうな。
結果的に経済成長もちゃんとしてるみたいですよ??
そういう、本気で国民を思う国づくりをしてほしいものですね。


……ってコメントになっていないような…


k
>>Nさん
そうですね〜、その頃は人類が滅びていたりして…。
はたまた宇宙進出してコロニーで生活してたりして(笑)

まぁ事業をやめると生きていけないですからねぇ。
それをしつつ、人類が生き残れる選択肢があるというのが、
現在の唯一の希望になるのかもしれませんね。
たとえば環境問題など無視して工業的発展を追求していた1970年代に、
ローマ・クラブというシンクタンクが「成長の限界」というレポートを出しています。
その内容はざっくりとまとめれば、
「今世紀の急激な人口増加によって資源は枯渇し、
 このまま何の措置もとらなければ、ある日突然世界経済が破綻をきたすだろう」
というものでした。
一日で2倍増える蓮の池を喩えに出すまでもなく、
20〜30年で倍増していた人口を考えれば当然の結果ですが。

資源の問題は技術の発展によってある程度緩和されますが、
現実はそれを上回るスピードでそれらを食い潰しています。
とはいっても全ての食料や資源を、本当に平等に配分すれば、
現在65億から70億と言われる人類を全て食べさせていくことは不可能ではないようです。
貧富の差が、それらを阻んでいる大きな要因で、
豊かな日本に生きる自分はなんて(物質的に)恵まれているんだ!と思ったこともありました。

ブータンですが、国家的な戦略として資本主義的なものを入れないのと
技術的発展を必要最低限のものにする事、そして
国民全てに仏教を基本とした倫理観が確立している、
といった要因が、国民総幸福量が高い理由として挙げられます。

残念ながら日本は世界有数の経済国家でもあり、
価値感を統一できるほど小さい国でも、
外国からの情報をほぼシャットアウトできるほどの規制があるわけでもありません。
そういった国にはそういった国としての国造りがあるんでしょうね。

最近だと大前建一氏の提唱する道州制なんか面白いなと思います。
民主党マニフェストにせよ、自民党の政策にせよ、
(そんな2次的な内容でどうこうするのも必要ではあるのですが)
なんでもいいですが政治の不信が、その透明度の低さにあることを、
そろそろ気付いて誰か何とかしてくれないものでしょうか。

原因は分かっているのだから、あとはそれを実行できるだけの
意志と能力を持った人が出るのを待つしかないのか…。