今日のつぶやき 2008年8月13日

世の中にはいろいろ複雑なものがたくさんあるけれど、
分からないものといえば、税金だ。
これほど広く行われているシステムで、これほどわかりにくいのは問題だと思う。

よくいろんな人が税金の使途を追求することがあるけれど、
僕にとってはどうでもいいことだ。
税金とは国民としてのサービスを提供するのに必要な対価であって、
種々の公的サービス(ライフライン、警察、病院)などの、
秩序や安全が維持されていれば十分なように思う。
問題は、その金額がサービスの対価として適当か、であって、
その徴収したお金をどのように使おうが、政府の勝手だ。

これは、各種の個人や法人が得た収入をどのように使っても、
非難される謂われがないのと同じことだ。 下書きの保存
例外があるとすれば、用途を限定して徴収したお金を、
別の目的に使用することだろう。

そうそう、小さい頃に国家予算で疑問に思った最大の点は、
その年の歳入は、(原則として)必ずその年に使い切らなければ行けない点だ。
現在は国家予算は赤字だが、昔は黒字だった時代があった。
貯金できないから、概算要求と言って、その年に必要な運営資金を(少し多めに)要求する。
これも、税金を必要最低限のお金しか集めちゃだめ、という誤った考え方があるからだろう。

同じサービスをより少ないお金でできれば、
もしくはより多くのサービスを同じ金額でできれば、
余剰分をどうしようと勝手だと思うんだけどなぁ…。それが優秀さの証。
まぁそんなサービスができるところは、一刻も早く民営化してしまうべきだが。

非常に単純な話として、税金は一律に所得の何%と決めてしまえばいい。
そして消費税も、もっと多くしたらいいんじゃないだろうか。
生活必需品等にはかけないなどの措置が必要かもしれないけれど、
多く持ち、使った分だけ上乗せされるというのには公平性がある。

たくさんの例外は、一見その場に合わせた最適化のように思えるけれど、
誰が最終的に得をしているかといえば、それを専門に扱う人たちだ。
これらの複雑さを廃して、その専門家たちがいなくなった方が、
どれほど長期的に見て有益か分からない。

たくさんの人が指摘して、今さら僕がここで言うことでもないが、
世の中の仕組みは持てる人がもっと持てるようにできている。
それは嫌だと思うならば、それに対する知識を以て抗うしかない。
逆に利益を守るには、分かりにくく、複雑にすればいいだけだ。