発信!

僕もそうだが、みんなこうして手軽に自分の思ったことを公開している。
15年ほど前までは、書籍かマスコミといった形式でしかできない、
いわば限られた特権だった。
インターネットの初期はある程度の機材と専門知識が必要だったため、
誰もが発信可能とはいえ多くのサイトが、
定量の情報と有益なコンテンツを具えていた。

時は移ろい、最初は掲示板、その次にBlog、そしてSNSといった形で、
誰もが気軽に、ブラウザ上で情報の更新ができるようになると、
(もはやアップロード、という言葉は廃れてしまったか?)
爆発的に参加者が増え、見渡せばネットはそれらばかりと言ってもいい。

閑話休題

この手軽さが、「ちょっと何か書いてみよう」という気を起こさせる。
みんながやっているから、「私にもできる」と思う。
そして、誰かが見てくれると期待する。
ある意味で、これは最も迷惑にならないストレス発散法だ。
まるでカラオケと同じように、
誰もが発信するばかりで、誰も受信しない。

しかし、歌と違うのは、文字情報が感覚的なものだけでなく、
理性的な部分を必要とするということだ。
歌であれば、綺麗な声や上手な歌い方であれば目を向けられるだろうが、
意見というのは鋭かったり珍しかったりしても、
その場では滅多に理解されることができず、または理解の試みもされない。
意見で重要なのは、そしてそれが影響力を持つのは、
その意見を発している人間が誰か、ということに尽きる。
あなたはそういう経験、ありませんか?

要は、人というものは責任や信頼のない人間には耳を傾けない、ということのようだ。
意見を言う人の肩書き、業績、立場、素性、などが支配的な前提のようである。

みんな、ある日の出来事の感想を書いているけど、
それで感覚を共有できているのだろうか、この一方通行の発信で。
まぁそれでも、誰が書いているかさえ知っていれば問題ないのかな。

僕は物書きではないし、エンタテイメントを提供しているわけでもなく、
カラオケと同じように、したいときだけ、
自分の中のもやもやしたイメージを文字にして発信するだけ。
もちろん誰かが読んでくれれば嬉しいけれど、
分かってくれる人だけ分かってくれればいいよ、と思っている。
僕は自分のためにこの文章を書いているが、
ここに書いているのは仮想の読者を想定した方が書きやすいからだ。書く気も湧く。
人間は矛盾しているね。

N
今や携帯電話からでもネットに参加できる時代なので、特にこういったブログ関係は爆発的に普及していますよね。
自分も気軽にいつでも参加できるから…という理由でブログにしても****にしても続けられているのかもしれません。

しかしほぼ無制限に等しいくらいに「自由」に出来る分、モラルというかそんなものの制限の箍が外れてしまっているような??
褒めるのも無制限、けなすのも無制限なので、その事柄に対して好感を抱いている人が読むと不快に感じるものが多々あるのではないでしょうか?その逆もしかり。
褒めるのはまだプラス思考なので良いですが、けなすのは書こうかどうか悩みますね。
明らかに世間一般に見ておかしいだろ!?とか思うことについては素直に書きますが、ひとによって意見が分かれるものについてはストレートに書けない部分が…。
書いてストレス発散という目的もあるので、一部伏せ字で書くことはよくあります。(特に個人のブログの方では)

大物有名人のさりげなくしてしまった(言ってしまった)言動に対して大きく叩かれる現代だからこそ、ネットの普及でモラルが乱れやすい現代だからこそ、どんなときも最低限の礼儀というものを忘れないように心がけたいものです。
(自己満足で生きて自分は良いのかもしれませんが、それを見て育つ次世代を担う子供の将来が不安…)


って、長く書きすぎましたね

k
きっとそういう勝手な意見というのはただ言ってるだけで、
最も迷惑にならない、言い換えれば無害な発言だと思いますよ。
自分が好きなものなら
「あぁ、この人はこの作品の良さが分からないんだな、可哀想だな」
と憐れむだけですし、嫌いなものなら
「ふぅん、自分と同じような感想の人がいるんだな」と思うだけです。
それに、勝手に耳に入ってくるおしゃべりと違って、
書いてあることなら読まないという選択ができますし。

もともとネットの世界は無法地帯なので、
自分でモラルを持っていることが大事なのかもしれませんねぇ。
この世界はまだまだ原始時代で、自分の身は自分で守る必要があります。
時間が経つにつれて、望まれる方向に変わっていくと思いますよ。

マスコミの最近の傾向としては、意味のないつるし上げが多いですね。
その大物有名人にしても、食品問題にしても、
本質を外して大騒ぎをするだけ、視聴率のために派手に声高に叫ぶだけ、
といったところでしょうか。
そういった態度が、視聴者の信頼度を下げ、
ひいては自分たちの不利益につながっているということが
きっとわからないのでしょう。

僕はいつも、今の時代のどんな良いことも悪いことも、
親の世代に責任があると思っています。
今の若い世代を問題だと見てる人は、知らず自己批判していることに
気付かないのでしょうか。
だから、自分の子供たちの世代がどのような人に育つかは
きっと僕らの責任なのでしょう。
また、昔の方が良い時代だった、というほとんどの場合に納得できません。
失われたものは必要なかったからこそ失われたのであって、
過去よりもいっそう自由に、いっそう便利に、いっそう暮らしやすく、
少なくともこの現代日本ではなっていると思います。


文章の長さなら僕の方が長いので大丈夫ですよ!