like Faust 2007年04月
メフィストーフェレス
「いっそあなたがあいつらに天の光の照り返しを
おやりにならなかったなら、
あいつらも、もうすこしましな生活ができたかもしれません。
あいつらはその照り返しを理性と呼んで、
どんなけだものよりも、もっとけだものらしく振舞うために
その理性を利用しているんです。」
主
「いうことはそれだけか。
いつも愚痴をいいに出かけてくるのか。
地上のことは永久にお前の気に入らないのか。」
〜〜中略〜〜
主
「ファウストという男は知っているか。
今あれは夢中でわたしに仕えているが、
程なく明るい境へ連れて行ってやるつもりだ。
若木が芽吹けば、花を咲かせ実を結ぶ日の
遠くないことを、庭師なら知らないはずはない。」
メフィストーフェレス
「何をお賭けですか。大旦那様のお許しさえあれば、
あの男をそろりそろりと私の道へ引き入れてご覧に入れます。
まず、勝負はこっちのものだがなあ。」
主
「あれが地上で生きている間は、
お前が何をしようと差支えない。
人間は精を出している限りは迷うものなのだ。」
〜〜中略〜〜
メフィストーフェレス(ひとりになって)
「時々あの爺さんに会うのもわるくないな。
だから喧嘩別れしないように気をつけているのさ。
あんな風に気さくに悪魔とさえも話をするとは、
偉い爺さんの身分としては、感心なことだ。」
人間というものは、特に男というものは、ファウストのような面を誰しも持ち合わせているのかもしれないね。
世に名作と言われるもの、それも時の波浪にさらわれることのなかったものは、読み返すごとに新しい何かを見つけられます。
メフィストーフェレスは悪魔だが、ゲーテの作中にあっては人間を堕落させるだけの存在ではなく、神の世界を実現させるための1つの役割として描かれています。その役割は人間の善性(主)と悪魔性(メフィストーフェレス)と置き換えても良いかも知れません。
自分自身という桎梏に苦悩し、歓喜を求めてもどこにも得ることができない。そんなファウストが「とまれ、いまこの瞬間はあまりにも美しい」というとき・・・そして彼が貶めた1人の女の愛によって救われるとき。それがゲーテの描くファウスト。
訳でこれだけ感動できるのだから、ゲーテがその手で書いた原文はどれだけ美しいことだろう。