ウツ 2007年02月

Selective Serotonin Reuptake Inhibitors。
選択的セロトニン再取り込み阻害剤。

最近知った単語。

人間はもともと動物として暮らしていたから、
狩りや採集に必要な機能しか具えていない。

少なくとも、
電脳によって結ばれたひどく希薄で曖昧なネットワーク や、
数万から数億の構成員からなる巨大な組織体 や、
1つの情報がまたたく間にジャンクとなるような激しい変化
に対応できるようにはできていない。

僕自身がおそらくはそうでないので、
そのように考えてしまうのかもしれないが、
鬱と呼ばれる病気になった人の、おそらくは半分以上が、
本当の意味での病気ではないのだろう。

これは、風邪にかかった時、「病気になったよ」とは僕が考えないことによる。少なくとも僕の周囲では、風邪のときは風邪にかかったと言うし、病気とはもっと大袈裟な場合に使っているという表現でとらえて欲しい。

***

鬱はこころの風邪である、と言われるが、まさにそうなのかもしれない。

たとえば、寒い日に水遊びをし、ハダカのような格好をすれば、誰だって風邪をひく。さらにいえば、周りもそれを心配し、指摘するだろう。

だけど、こころはそうではない。上にあげたような現代の環境は、言ってみれば人間にとって冬のようなものなのだ。
それなのに、人によっては何の準備もせずに、気の赴くままに、例えるならば防寒具もつけずに、まるで暖房の効いた家の中と同じような格好で、外へ出て行く。

こころは偽りも行える程に表現が多様なので、他の人にははっきりと分からない。鳥肌が立つ、青白くなる、震えが止まらないというような程にわかりやすければ良いものを。その症状は、わずかに親しい人と、表現に敏感な人のみが気づく程度だ。

抗うつ剤は、例えるなら一時的に火に当たったり、カイロでぬくまったりするようなものだろう。身体が出している抑制反応を、無理に活性化させているのだから。
(もちろんこれにはバランスがあり、あらゆるものは薬と毒の両面性があるという前提のもとで)

風邪なのに横にならずに、無理に仕事したり遊んだりすれば、症状が悪化するのは誰にでも分かること。
けれど、うつの場合は、同じ事を平気でする。熱があるのに、解熱剤を打ちながら活動しようとする。それに、若ければ若いほど、脳に直接影響を与えるような薬だから危ないと感じる。

うつは、素直な人、精神的・感情的変化の精度が濃やかな人ほどなりやすいように見える。このような人は特に、よくよく注意して厚着をしなければいけないと思う。

ちなみに本当に病気として僕がうつだと思うのは、いわゆる身体が弱くて病気がちな人のように、どこにいても、どこに行っても、ささいな変化にからだが(こころが)負の方向に反応してしまうような人たちのことだ。

巨大な機構の1個の歯車として、今いる場所を離れることができない。しかも、社会からは精神に多大な負荷をかけられ続ける。これは1種のジレンマだ。このような社会は、社会それ自体が間違っていると言えるかもしれない。

しかし、突き放した言い方になるが、この社会が所与の物である以上この社会で生きる術を学ぶしかないのだろう。

******************

ここでは自分が鬱ではないと書いているが、病院にこそ行かないものの、
これから5年〜6年くらい自分自身に悩まされたことはここで記しておこう。
それが鬱かどうかは判断できないが、苦しんだ季節だったことは確か。

そして、これまでの何年も、ある事柄に没頭することで、鬱の状態を緩和させていたのかもしれないとも思う。
すなわち、自分もからだが弱い人間だということだ。