This is not enough (2006.10)

15日までの日記はどうでもいい内容が多すぎた気がしてます。
ゲームのこととか・・・。その日とある場所に出かけて反省しました。
見ている人が知ってる人たちというのはどうしても衒いが出てしまうけど、
もっと思ったこと、伝えたいと思うことを書いていきたいと思いました。


数年前にT.A.T.u.というグループが流行ったけれど、
彼らの「All the things she said」という曲が無性に聞きたくなった。
この曲を聞くと、時代や環境の閉塞感に対するいらだち、
それを打ち破りたいもどかしさが伝わってくる気がする。
その気持ちは僕の中にもあり、みんなの中にあり、
だからこそこの曲が広く受け入れられたのだろう。
だが、音楽は感じるものであり解説するものではない。
僕はこう感じた、それでで十分だ。

音楽は世界の共通語と言われるが、それは嘘だと僕は思っている。
音を聞くことができない人にはそもそも伝わらない。
現代に生きる人がいきなり伝統音楽を聞かされても何も分からない。
音楽が共通語であるためには、人々がある形式をもった音楽に対して
慣れや理解を持つ場合に限られる。
つまり、同じ文化や環境に属する場合にのみ当てはまるということだ。

それでもなお音楽には他の言語に比べ
共通語と呼ばれるだけの特質があると思う。
1つはほとんどの人間が言葉を話し、
「音」に対する優れた感性があること。
2つに、音には、思考という処理が必要な言葉にはない、
直接感情に訴えかけるという性質があること。
文豪ロマン・ロランがいみじくも述べているように、
音楽を聞くとき、
人は音楽を理解しているのはなく、音楽そのものになっている。
逆に人は音楽を作り出すとき、
自分の心でしか響かない感情を旋律として紡ぎだす。

「All the things she said」は
ジュリアとレナが17歳という大人へと変わりつつある
微妙な年齢だったからこそふさわしいものだったのだと思う。
もちろん詩と曲を書いた人はもっと歳が上の別の人だが、
もし彼女たちが20歳の時に歌っていたとしたら
感じ方もおそらく異なっていただろう。

僕のまわりにはなぜか2月20日生まれの友達が多いが、
誕生日がその日のジュリアは19の時に子供を産んでたんだねぇ。
シングルマザーらしいので大変なんだろうなー。