字(character) (2006.10)

最近はめっきり手書きの文章を書かないなぁ。
PCだと速くて整った文章が書けるから便利だけど、
やっぱり手書きの文章の方が好きです。

あ、でもブラインドタッチはもっと速くなりたい。
一時期タイピングソフトで練習したりもしたんだけど
微妙に変なクセが抜けません・・・
薬指と小指の上下も苦手です。数字なんか打てるか!

性格診断とかがネット上の自己紹介でよく使われるけど、
その人が書く文字も性格を表すと僕は思ってます。

血液型や生年月日は統計的に調べていけば
性格との一定の相関が得られそうな気もするね。

画数による姓名判断なんかは、表音表意文字
漢字圏ならではなんじゃないかと思うんだけど、
表意文字圏の欧米とかにもそういった占いがあるのかな?

まぁなんにせよそういったひとつひとつが
その人を構成するかけらの一つなので、
その人を知るてかがりにはなりそう。

ちょっと哲学っぽく言ってみると、
例えばある人のことを表現するときに、
その人のことを誰に似てるとか何が好きかとかその人を
囲む周囲のモノでしか表現できないことに似ているかも。

これを突き詰めていくと、

「自己とは自己自身に関係するところの関係である。」

「二つのものの間の関係においては関係それ自身は
 否定的統一としての第三者である。
 それら二つのものは関係に対して関係するのであり、
 それも関係の中に関係に対して関係するのである。
 これに反して関係がそれ自身に対して関係するということになれば、
 この関係こそは積極的な第三者なのであり、
 そしてこれが自己なのである。」

キルケゴール死に至る病」)

といったような表現になっていくのかもしれない。

話は脱線するけど、こういう固い文章に出会うと
現代文やってて良かった!と思います。中川先生ありがとう・・・!
論理的読解力を問う東大現代文みたいな問題で鍛えられてなかったら、
たぶんこういった文章を精読するのはできなかったです。

上のを分かりやすくすると、一番目のは、

「自己とは、(普通考えるように、それ自体で自己という
決まった一つのものがあるのではなくて、)
自分自身を含めて、自分が関わっている人や物との関係に対して、
どんな風に関わっているかという関係性の全体を自己というのである」

二つめのは

「2つのものの間の関係というのは、
それだけでは単なる2つのもののつながりというだけで、
これら2つを総合をするためだけに持ってこられた
消極的な意味しか持たない。

例えばA←→Bという関係があった際にAとBは
直接関わっているのではなく、
この←→という関係に対してA(→)←→(←)Bのように、
AとBの関係性に対してAとBは関わっていることになる。

(しかしそれでは全てのモノは定まった形しか持たないことになってしまう。
なぜならAとBをつなぐ←→はAとBとの関係を表すために
持ってこられた、AとBには関係ない不変の第三者だから)

そうではなく、この←→という関係がAとBとの関わりに
よってフィードバックがかかり、←→という関係それ自身を
変化させていくのであれば、このような動的な、
変化極まる関係性の全体こそを自己と呼ぶのである」

ということになると思う。
どちらにせよ、よく分かりませんね(爆)
自己の話題とは外れるけど、
関係性という意味では恋愛に例えると分かりやすいかも。

愛し合う2人。
この2人は愛し合っている関係なので、
この2人はいつまでも愛し合う。

⇒そんなわけねー(失礼・そういう人たちもきっといます)

実際には求める心が満足せず不満に思ったり、
ちょっとした仕草が気になったりして
愛し合っている関係自体が、愛し合っていることが原因で
様々に変化していきます。皮肉ですね。
だからこそ面白いと言えるのかもしれないけど。


話が超脱線しましたが、うまい下手に関わらず
その人の文字が何を強烈に表現するかによって、
その人の性格が表れるんじゃないかと思うしだいです。
もちろん字は練習によっても変わるので、
それで全てだとは思いませんが。
書道も好き。中・韓・日の誇るべき文化だと思います。
文字1つであれだけ表現できるなんてすごくない?

そういえば男女好悪に関係なく、このひと気になる!って人は
みんなユニークな字を書いてた気もするなぁ。