ことばのちから (2006.09)

日記ではないけど、毎日何かを書くのはむずかしい。
ここで日記を続けて一週間書いてみたものの、くじけそうです。
根気が足りないね。


昔は言霊というものに憧れるくらい言葉の力を信じていたけど、いつからか言葉では伝えられない限界があることを知ったとき、言葉に対する信頼を損なったように思う。
それでも、僕は人の語る言葉や綴る文章には力があることを信じていて、それは発する人とその感情によってさまざまな波動を起こす。それを僕が感じるように人に伝えるのは難しいが、色や、感触や、温度を伴ってくる。

その威力を感じるからこそ、簡単に言葉を発するのが難しい。
日常の明るいおしゃべりの中の言葉さえ他人を傷つけないことはないし、人から覚えず発された何気ない一言が自分にとって人生を揺り動すほどの印象を与えることだってありうる。

別の次元の話になるが、他人の無責任な評価でどれほど自分の意志が左右されるかは数えきれないほどだし、意図的なうわさ話によって感情も揺さぶられる。

言葉には力があるが、それを意識しないで気ままに使われていることが時に恐ろしいと僕は思う。ナイフの切れ味を知らずに遊ぶようなものだからだ。そんな社会の中で、一方的に押し付けられるマスコミのニュースの中で、ネットに溢れる膨大なヒトの情念の中で、激しすぎる時代の流れの中で、道行く人たちの無関心の中で、知ってる誰かの悪意の中で、自分自身の欺瞞の中で、

僕はただよい、流されるのみ。