様々な 2008年3月27日

虫の電気制御かわいそう
人間への適用とかは無理だけど、気持ち悪く思った。

この環境は・・・・なぜあの感じと違うんだろう。
むしろこれがスタンダードだと思ってたくらい。

ウィルス感染PCを扱う上においては、対策をしない方が愚か。
もともと、決まりも何もない世界から生まれた無法地帯だから。
現代世界だってそうだ。
女子供が夜中に歩いて無事でいられるのが当然だと思ったら大間違いだ。

技術と体験
素敵だ!と思うことと、感動を覚えること。
それらは決して高度な技術の上になりたっているものではないということだ。
これまでは、技術があまりにもプリミティブ?だったために
技術の発展こそが素晴らしい体験を得られることだった。
曰く、車は速く、振動が少なく、安全に。コンピュータは高速で、軽快に。
電子機器は、高機能に。
今では、技術の進歩は豊かな体験を意味しない。
既存の技術の組み合わせで、十分に実現できる。
必要なのは何を重視し、何を与えたいのかというビジョンとメッセージ。

あいまいさ
非常にファジィなのであまり使いたくはないが、
概念として便利なので使ってしまう言葉に理系と文系がある
。僕が理系とは文系と理系の違いとして思うことは、
ものごとに対する定義ということになる。
文系は、一般常識、もしくは雰囲気で言葉を話し、
理系は具体的な値、範囲、現象を定めて説明する、とでも言うといえばよいのか。
たとえば、占いや心霊現象と呼ばれるものが良い例かも。

学力
さすがに失礼なので、「『学力』とは?」とは聞けなかったが、
お父さん、お母さんには一定のイメージがあるようだ。
「全国的な『学力テスト』で、せめて平均くらい(小学生子どもを持つお母さん)」や
「公立高校に合格くらいの成績(中学生子どもを持つお母さん)」という答にあるように、
「学力」を「問題を解く能力」あるいは「その結果の成績」に二重写しする傾向は
否定できない。
しかし、社会のなかでオトナがいう「学力」は、「問題を解く能力」ではなく、
思考や判断そして表現(伝達)する前提となる知識や姿勢だろう。
スタッフの大学院生が低下していると指摘するのは、
「問題を解く能力」が低いのではなく、
「問題を解決していくための思考の基礎が身についてない」との意味である。
また、高校生に感じるのは「判断や表現の前提となる知識の偏り」に近い。
それは「問題を解く能力」あるいは「その結果の成績」とは大きく違う。
さらに「基礎的・基本的な知識・技能」とも「思考力・判断力・表現力」でもない。
極端にいえば、将来に向けて目的を決め課題を克服していく「進む力」??
それが「学力」なのだ。
もちろん、「基礎的・基本的な知識・技能」も必要だろう。
加えて「思考力・判断力・表現力」も欠かせない。
しかし、そのような言葉の断片で表現できる程「学力」は単純ではない。